隣の芝は どうしていつも 青いのか

誰かにとっての「隣の芝」になれるまで、言葉を考え、言葉に悩む。

040 『芸人交換日記』で泣いた話

何がきっかけだっただろうか。

 

タワレコの履歴を遡ると、去年の11月と出ている。

 

理由はもはや忘れてしまっているけれど、僕は去年の11月、作・演出:鈴木おさむの『芸人交換日記』を買っていた。

 

それから転居を伴う異動があったりしてバタバタしてしまったせいで見ることが出来ないまま、今日に至ってしまった。


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2011年の舞台だ、2020年の今になって見ている人もそういないはず。本も出ているし、映画化もされている。こないだLDHの人が朗読の舞台もやっていたっけ。

 

もうネタバレNG云々を気にする必要も無いだろう。

 

 

あらすじとしては、ある1組の鳴かず飛ばず漫才コンビが1つの賞レースに懸け、その後解散し、別々の人生を歩んでいく、その間に繰り広げられる葛藤が「交換日記」を通じて展開していくというもの。

 

僕はもちろん芸人では無いし、芸人を目指したことも無いけれど、きっとこういうやり取りがどこかでは行われているのだろう。違和感は全く無かった。

 

 

2時間20分に及ぶ舞台だったわけだが、僕はこのうちの半分くらいを泣きながら見ることになった。

 

人間、1時間近く泣き続けると、さすがに目は腫れ、鼻の通りは悪くなる。そして、体温も自然と上がる。もし誰かに見られたら、花粉症をこじらせて新型コロナにでも掛かったかと言われてしまいそうな症状だが、安心して欲しい。健康そのものである。

 

 

では何でそんなに泣いていたのか。

 

答えはシンプルで、僕自身が目を背けてきた言葉たちが台詞としてバシバシ出てきたからだ。

 

 

これは感動の涙なんかじゃない。

甲本が売れていった田中に放つ台詞1つ1つが、鋭くて、痛くて、泣いていたんだ。

 

泣きまくっていたから記憶も曖昧だけど、"夢を諦める才能は持っていたい" というような台詞があった。強烈だ。特に、"夢らしきもの"をずっと持っている人には こうかは ばつぐんだ。

 

 

まだ諦めたと言えるような決別をしたわけじゃないけれど、もう何年も蓋をして、目の前の出来事に自分の時間を売り続けて、青春全部を注ぐようなお話があまりにも眩しくてどんどん直視出来なくなって、たまにその手の話をしたり/されたりするとチクチクするような、そういう感情とも理性とも相容れない、"これ"は何なのだろう。

 

伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさんの言葉を借りるなら「カイブツ」とでも称すべきこの存在は、それでも僕の中にちゃんと巣食っていて、今日『芸人交換日記』を見て、袋叩きにあった。

 

 

このお話に出てくる甲本も田中も、僕と同じ31才だった。30才は、20代の戸締まりをする一年間。それが終わった今、やっぱり忘れ物をしたんじゃないかと、そのドアを開けたくなる。

 

開けていいのか? いや、もう開けてる場合では無いだろう。その狭間に苦しめられるのが31才だと、僕は感じている。

 

けれど、その中で"諦める才能"を行使するだけの覚悟を、僕はまだ持ち合わせていない。

 

僕の中の「カイブツ」とは、引き続き交換日記をして、本音を出し合わないといけないのだろう。

 

僕のことを昔から知る人は、いつまで言ってるの?と思うだろうけど、すみません、そんな簡単なものでも無いんですよね、ということは書き残しておきたい。

 

 

『芸人交換日記』の甲本が、舞台のど真ん中で叫んだように。

 

https://tower.jp/item/2934863/芸人交換日記

 

 

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

written by kobakkuma

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