隣の芝は どうしていつも 青いのか

誰かにとっての「隣の芝」になれるまで、言葉を考え、言葉に悩む。

036 「トゥース」の意味

昔からよくラジオを聴いている。

 

特に長く続いている番組であればあるほど、テレビでは見られないような一面や

言い回しを聴くことが出来て、誠に勝手ではあるのだが、その人が同じ人間だということを

信じることが出来るのだ。

 

 

子供の頃は今とは比べ物にならないくらいテレビっ子であった。

ドラマが大好きで、中学受験をしたとき、月9のためにテストが終わったらさっさと帰って、

昼寝までして臨んでいたこともあった。

 

もちろん、その頃にはYouTubeなんか存在しなかったし、インターネットだって

こんなにお手軽なものではなかったから、享受する娯楽としてテレビは圧倒的な強さを

誇っていた。ゲームが下手だった自分には、特にそうだった。

 

だから、子供ながらに、そこに映っている芸能人は別の世界の人だと、心のどこかで

思っていた。収録のカメラの赤ランプが消えれば、ノーマルな個人に戻る。

それがTV Showというものだと思っていたし、僕にとって、それが良いとか悪いとかは、

別の次元の話だった。

 

しかし、ラジオで喋っている芸能人たちは、そういう僕のイメージを崩してくれた。

深夜ラジオは特にそうだった。それを最も強く思い知らせてくれたのは、間違いなく

くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』なのだが、他のパーソナリティーも、

テレビでは言わないこと・言えないことを、ラジオではよく話しているイメージがある。

 

そういう芸能人は、なんとなく信じてみたくなるもので、今回書こうと思っている

「オードリー」もその1組にあたる。

 

 

 

前置きが長くなった。

今回は『オードリーのオールナイトニッポン(以下、オードリーANN)』について

書きたいと思っている。今、深夜ラジオの番組において、テレビとラジオで

見せる表情がここまで違う芸能人も珍しい。

 

2018年の3月、番組が10周年を迎えることを記念して、全国ツアーを行うことが発表された。

そのファイナルが1年後の2019年3月2日、日本武道館で行われることも、同時に発表された。


先行抽選が始まるやいなや、1年後の自分がどこに居住してるかも分からなかったが、

とりあえず応募した。リトルトゥース(オードリーANNリスナーの呼称)歴としては

中くらいの僕だったが、こんな歴史的な瞬間を見逃すわけにはいかないと、

憚らず先行抽選に応募した記憶がある。

 

イベントそのものは、もう既にいくつものメディアで取り上げられていると思うので、

プロのライターさんが書いてるものを読んでもらえればその内容の分厚さが分かると思うが、

 

僕が今回書きたいと思った動機の1つとして、先日発売された番組本

『オードリーとオールナイトニッポン 最高にトゥースな武道館編』 (扶桑社ムック) に

書き下ろされた、若林のエッセイにいたく感動したからである。

オードリーとオールナイトニッポン 最高にトゥースな武道館編 (扶桑社ムック)

オードリーとオールナイトニッポン 最高にトゥースな武道館編 (扶桑社ムック)

 

 

過去のブログのエントリーにもある通り、僕は若林の書く文章がとても好きである。

 

自分と世界の見え方が同じはずもないのに、何故か共感してしまう部分がある。

さらに、その部分を自分では思いもつかない言葉遣いで表現していくので、

読むたびに尊敬してしまう。(ちょっとヤバい奴なんだろうね、きっと。)

 

若林の過去の著作、『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込』(角川文庫)の中で、

芸術家・岡本太郎に関する章があるのだが、こんな一節がある。

 

あの『太陽の塔』には余白が無い、つまり岡本太郎氏のエネルギーが十分に

あのオブジェに達していることを受けて、

3分の漫才は出来ても、30分の漫才は演者本人のエネルギーが30分に達していないと、どうしても間延びするだろう

これが2010年の記事である。

 

 

時間を今に戻して、2019年、3月2日の日本武道館で、オードリーは30分の漫才を、

(正確には24分だったが) 会場の12,000人と、映画館で見ている10,000人、合わせて

22,000人に披露した。

テレビではきっと見ることの出来ない、24分間延びしない漫才を、彼らは披露したのである。

オードリーは、そのエネルギーを披露する場所として、リスナーの前を選んだのだ。

 

自分は漫才を作ったことが無いから、あの日までに構築され、あの瞬間に放たれた

エネルギーがどれ程のものだったかは分からないが、計り知れないほどの熱量が

そこにあって、22,000人全員にそれが届いているのは間違いなかった。

 

若林はオードリーANNに対して、"自分が一番救われてきた自負がある"と、同エッセイで

述べているが、おそらく、多くのリトルトゥースは、若林のそういう姿勢に生き甲斐を感じたり、

救われたと感じているのだろう。

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もう既にネットの記事で見た人も多いだろうが、相方・春日が、4/18(木)の「モニタリング」で、

以前から「狙ってる女」としてリトルトゥースにはお馴染みだったクミさんへプロポーズをし、

無事結婚することが放送された。

 

そのプロポーズにおける春日の『手紙』には、多くの称賛があった。

相方の若林も鼻水を垂らしながら号泣していたし、あの南海キャンディーズ・山ちゃんも、

自身のラジオで「オードリー、次のステージへ行きやがったな…」と、"嫉妬お化け"っぷりを

隠せないくらい、見事なプロポーズだった。

 

 

 

それでいて、翌週の週刊誌報道が金曜(FRYDAY)に明るみになり、平成最後となる

4/27(土)のオードリーANNは荒れに荒れた。

 

荒れはしたのだが、放送事故ではなく、あくまで間もなく放送500回を迎える

オードリーANNの中の1回に留められる範囲だった。その範囲で収まったのは、

明らかに、若林の激昂と平穏のバランス感覚と、クミさんを電話で登場させることも

含めた構成の力によるものが大きい。

 

この番組の制作陣「チーム付け焼き刃」(どきどきキャンプのサトミツも含めて)も、

相当頭を悩ませたんだろうと思う。プロポーズの10日前にあんなことをした春日を

決して甘くせず、叱責し、なおかつ、番組として成立させるのは生半可な構成ではない。

 

しかもこれは同時に、テレビのワイドショーで簡単にもてあそばれないようにするという

楔にもなっている。他でもない春日本人が自ら語り、クミさんにも謝罪をしたのは、

週刊誌でも、ワイドショーでもない。この番組だけが真実なのだ。

 


きっとそこまで考えて、あの日の放送は組まれていたんだと思う。

春日はそれどころじゃなかったと思うけど。

 

 

まあこれは半分くらい妄想だが、もしそうだとするならば、春日は嫁も含めて

この上ない人たちに出会っているんだから、もう金輪際、裏切るようなことはしないで欲しいし、

改めて、若林正恭という人物に尊敬したくなってしまう。

 

武道館のイベントにおいて、カーテンコールの時、若林は「最高にトゥースでした!」と

言い放っていたが、番組本によれば、どうやら「トゥース」はギャグではなく、

アメフト部時代に使っていた集合の合図だったらしい。

 

 

 

またこれからも、土曜の深夜、ラジオの前に集まろうと思った、一リトルトゥースなのでした。

  

今日もご愛読、感謝です。
written by kobakkuma.
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