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隣の芝は どうしていつも 青いのか

誰かにとっての「隣の芝」になれるまで、言葉を考え、言葉に悩む。

025 足るを知る者は富む

普通の日記

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僕は学生時代、あまり漢文が得意ではなかった。


どちらかと言えば古文が好きで、高校時代は古文で漢文のマイナスを補っていたくらい

古文は好きだった。


簡単に言えば、「漢字だらけの文章が苦手」だったのだ。


そんな僕でも、いくつか記憶に残っている漢文のフレーズがある。

今日のタイトルはその中の1つ。賢明な皆さんはもうお分かりですね。



そう、『老子』に出てくる一節。


「知足者富」

 -満足することを知っている者は、心豊かに生きることができる、というもの。


■現代における「足る」を「知る」

先日、親と『シン・ゴジラ』の感想について連絡を取っていた時のこと。

特に僕自身特撮好きというわけでは無いけれど、『シン・ゴジラ』には心を動かされた。<感動>という言葉とは少し違う、<驚き>に近いものだった。



今でこそ『君の名は。』とか『聲の形』とか、邦画がすごく活発だけど、その先陣はこの『シン・ゴジラ』だったと思う。

特に、いろんな人の感想や分析、批判、絶賛がネット上に溢れていたのは、とても鮮明な記憶だろう。

 <以下、一瞬ネタバレを含みますが、ネタバレしてもなお観たほうが面白いと思います>

realsound.jp


僕自身も、見終わった直後にはあれやこれやと思うことがあった。


同時に、これは是非うちの親(50代後半)にも観てほしいと思って、普段は音楽くらいしか推さないけど、猛烈にリコメンドしてみた。


そしたら、こないだこんな感想が返ってきました。

あのフリーズしたボロボロのゴジラはどう処理するんやろね。
あれは核汚染の廃棄物でしょ?

この頃よく思うんやけど、科学の進歩は人類の幸福なんやろか?
人間の欲心は“足るを知る”ことがなく、むしろ“知足”は向上心の欠如と否定的にとられがちだろう。特に科学的研究開発。医学分野では既に神の領域にすら手を突っ込んでしまったような気が…。

先人から恩恵を享受するのも後人だけど、同時に先人の愚かさを償わされるのも後人、それが歴史なのかしらね。

人類の未来は明るいのか?…最近懐疑的なんだけど、、(以下略


僕はこれと言って反抗期を迎えないまま過ごしてきたし、むしろ割と親を尊敬している。

この感想も僕には見えない角度からのもので、面白かった。

特にこのフレーズ。

“知足”は向上心の欠如と否定的にとられがち



こないだ会社の同じフロアに、3年インドネシアに駐在してた課長さんが帰ってきて、
「日本は便利すぎて、たまにつまらないと思うときがある」と言ってたのを
思い出した。

ほんと、どこまでやったら満足するのかね。人間って。


もちろんその課長さんは、「インドネシアは足りないことだらけだったけどね(笑」とも
付け加えてたけど。w


■今の環境

前からこのblogを読んでくれている方は分かると思うんだけど、僕はラジオや音楽が
特に好きな人種でして。当然それ以外にも、TVも見るし、映画だってこんな感じで
見るし、とりあえず流行りには乗っておきたい。ミーハーメガネ野郎27歳です。


そんなエンタメに蝕まれた僕にとって、今の世の中はズバリ、

インプット出来るツールが多すぎる!!!!!!!!

 
という状態なのです。



映像を見られるツールといえば、TV・YouTube・ニコ動・Ustは当たり前、最近だと、Hulu・TVer・AbemaTV・Netflix・LINE LIVE…いやー。めちゃくちゃある。

音楽だって、先日Spotifyが日本に上陸したけど、サブスクの分野ではApple Music・Google Play Music・LINE MUSIC・AWAAmazon Prime Music、それにかつてのMySpaceや、SoundCloudのようなコミュニティもあり、日本にはレンタルという形態も生き残っている…これまた多い。

ラジオも、radikoプレミアムのおかげで、今や全国のご当地番組が聴ける。気になって仕方がない。明日からは「シェアラジオ」「タイムフリー」も始まるもんだから、もういよいよ追いつけない様相を呈してきてます。
(これについてはまた別の機会で考えたいですね)

それこそ、SNSで「RT」やら「いいね!」「♡」されたやつだって、十分インプットソースになるわけで。


あくまで僕目線ですが、今、この2016年、掴みたい情報が滝のように一気に、同時多発的に流れていて、めちゃくちゃ息苦しくなっている。

いつどこで誰のどんな情報がどのツールで流れてくるのか、自分で掬いに
行く必要があるし、掬いに行けるようにもなった。


昔はそれが限られた山から流れてきていたわけですよ。
映像ならTV、ラジオなら地元だけ、音楽ならCDショップやレンタル屋さんくらい。


2010年付近から言われ始めた「キュレーション」。
情報の流れてくる場所を教えてくれる画期的なサービスだと思ったけど、
今となっては、もしかしたら、キュレーション系のサービスをまたキュレーションして
いくという、謎のループが生まれてるかもしれないってくらい広まっている。w


「じゃあほんとに君が欲しい情報って何なのよ?」って、情報の方から逆に
突き付けられている感覚に陥っちゃいます。(´・ω・`)


■本当に掴みたいもの

そんな中、さっきの親の感想を見て、↓の言葉が自分から出てきたんですね。


これはblogなり何なりを書こうとした時に、(いや、その前にあれを聴かなきゃ)っていうものが多すぎて、全然書き出せなかったことに対する自己回答で出てきたもの。


結局何かを書いたり表現したりするのは、必ずそこにインプットの存在があるわけで、
インプットが渋滞してたらアウトプットも滞るわな、という話。

そのインプットの処理を上げて、「まだまだ知りたい」と思うのか、あるいは「ここまで知れたんだから一旦アウトプットしておくか」の違いは大きいように思います。


本当に掴みたい情報を見極めて、それをアウトプットとして消化して、また掴みに行く。何回掴みに行くかの基準は、「満足」してるかしてないか。

このループが、僕にとっての「心豊かに生きること」になりそうだな、と。


アウトプットの仕方は、blogに残すだけじゃなくて、Twitterに載せるのもそうだし、

Instagramに載せるのもそう。TPOによってベストなアウトプットの方法はある。


ま、それが生業になれば一番良いんだけどな~。

 

 

今日は連休最終日ということもあり、少し長めに書いてしまいました。

長文、駄文申し訳ありません。

 

今日もご愛読、感謝です。

written by kobakkuma.