026 ミュージックソムリエ養成講座に行ってみた
年末が近付いてくると、いろいろと今年の総括をする時期が来ますね。
「今年の〇〇」的なやつ。
漢検のやってる「今年の漢字」とか、10大ニュース、今年の人、などなど。
同じようにして、「賞」も決まってきます。
新語流行語大賞とか、こないだ大きな話題(とお金)を集めたレコード大賞とか。w
そんな中、皆さんは「CDショップ大賞」というアワードがあるのを
ご存知でしょうか。
こんなやつ。
独立団体だからどこのレーベルに対してもフラットに物を言えるし、
最もユーザーと接しているCDショップが「これは名作!」と自信をもって
プッシュしている作品がノミネートされています。
だから、オリコンでバンバン1位を連発しているアーティストが、
居たり、居なかったり。この賞に、CDの販売枚数は関係ないのです。
ちなみに、過去の大賞受賞アーティストは、相対性理論、THE BAWDIES、
andymori、ももクロ、MAN WITH A MISSION、マキシマムザホルモン、
BABYMETAL、星野源。
「なんだ、結局ロキノン系かよ」と思った人もいるかもしれませんが、
ノミネート時点では、ミスチルだって宇多田ヒカルだって入っているわけで。
※ロキノン系:雑誌『ROCK'IN ON JAPAN』で特集されているようなアーティスト。いわゆるJ-ROCK。
ベストアルバム部門では、山下達郎やユーミンの名も入っています。
賞をきっかけにブレイクが期待される作品を挙げているようなので、仕組みとして
常に先を見てアーティストを特集し続けているロキノン系が、どうしても
挙がってくる傾向にあるのでしょう。
とはいえ、クラシックやジャズ、演歌、洋楽も入っていて、かなりフラットに
「日本の音楽」をフォーカスしていると思います。
次は第9回。来年の3月に開催されるそうです。
何が来るのかな。
やっぱり今回はRADWIMPSと宇多田ヒカルの一騎打ちなのかな。
個人的には、そこに乃木坂とかSMAPとかが入ってきたら、
「いよいよどの方面にもフラットだな!w」と思えて面白いけど。
Aimer、チャラン・ポ・ランタン、フレデリック、ヤバイTシャツ屋さん、
●運営しているのは・・?
さて、話を戻しましょう。
このCDショップ大賞、運営しているのは「全日本CDショップ店員組合」と
「NPO法人ミュージックソムリエ協会」。
前者はまぁ分かるけど、後者はどこか怪しい雰囲気が無いですか?(失礼)
調べてみると、「ミュージックソムリエ」を養成してるところみたい。
な~んか、まだ怪しい。
(ミュージックソムリエって何よ。)(仕事なの?資格なの?何なの??)という
皆さんのざわざわ感が聴こえてきます。
ということで、体験してきました。9月末から昨日まで、全5回。
最初は、まぁCDショップ大賞やってるとこだし、何か盗める考え方があったら
いいかな~、くらいにしか思ってませんでした。騙されてもいいか、くらい。
結果的には、すごく勉強になったというのが率直な感想。
いかにその作品を理解せずに聴いてたかに気付かされた印象があります。
誰かにおすすめする時や紹介する時には、自分の中で作品に関する情報を整理して
おくことが必要で、最終的には言語化出来ないといけない。
いくら17,000曲以上iTunesに入っていて、起きてる間ほぼ音楽聴いていても、
それは自分の中で良いだけで、誰かにとってはそこまで良くないかもしれない。
ただそこに、何か1つでも良いと思ってもらえる"隠し味"のような情報を
混ぜられるように、その"隠し味"の探し方について教えてもらった気がします。
まさか、自分の誕生日がその試験日にぶち当たるとは思わなかったけどね。w
●今後はどうなる・・?
さて、ミュージッソムリエの養成講座を受けたわけですが、
これから何がどうなるんでしょう。
正直、良く分からないんですね、これが。笑
そもそも試験の結果出てないし、僕がミュージックソムリエを名乗れるのかさえ、
まだ分かりません。笑
協会の会長さん(佐藤剛さん:http://go-sato.jp/ )と、歴代のソムリエさん何人かで
ブレスト的な会があって少し参加してきたわけですが、「NPOだからこそ
出来ることがいっぱいあるんだな」くらいしか付いていけませんでした。w
※kobakkumaはアホなのです
いくつかすごく同意出来る考えもあったけど、いくつかは本当にそうなのかな?と
思う考えもあって。すごく刺激を受けた時間でした。
まぁ協会としての活動は良く分からないけど、ここで学んだことを使いながら、
個人で出来ることをいろいろやっていこうと思います。
例えば、自分の聴いてる音楽ライブラリに、自分なりのタグを付けるとかね。
もうTwitterやらニコ動やらで十分タグ付け文化は出来上がってると思うけど、
個人的にはもっと日常に関連したタグ付けをしたい。
【5駅過ぎる間に聴けるシリーズ】とか【東京-新千歳間で聴くアルバム2枚】とか
【部屋の掃除中に読んじゃう歌詞カード】とか。笑
僕なんかは、音楽を聴くのが好きなので、意識して「音楽を聴くぞー!」と
思ったことが無いのですが、レコード協会の調査によれば、音楽に無関心な人は
増加してきているそうです。
音楽聴くのが嫌いなのであれば、強要はしません。当たり前です。笑
あと、自分から聴く人にも、これを聴いてよ!みたいな強要はしません。
それぞれに好きなアーティストがいるわけで、むしろ僕は教えて欲しいです。
でも、「何から聴いていいか分からないな~。あ、このマンガ面白そう。
スマホで読んじゃお」という感じで音楽が後回しになってる人には、
何かしら出来ることがないかな~思うわけです。
何故って?
それは、僕が音楽を聴くことで、間違いなく人生が豊かになっているから。
いろんなアーティストが、その人なりに切り取った日常を知ることが出来て、
自分には無い感覚を教えてくれる。間違いなく、僕の人生を太くしてくれてます。
曲にまつわるストーリー、携わるスタッフ、それぞれの背景(コンテキスト)を
知ることでまた新しい感動や感覚を得られる。
当然、マンガだってアニメだって映画だって小説だって、みんなそう。
文化的なものは、無くても死なないけど、人生を太く豊かにしてくれるもの。
それが僕の場合、音楽だったわけです。
このことに気付けただけでも、この2か月通った甲斐があったというものですね。笑
最後に、この講義の中で曲を選んで徹底的に調べるという課題があり、そこで
選んだ曲のPVをご覧ください。
歌詞も、サウンドも、ボーカルの声圧も、最高級です。
エンドレス/サカナクション(from 5thAlbum『DocumentaLy』)
長くてすみません。
今日も、ご愛読感謝です。
written by kobakkuma.
025 足るを知る者は富む
僕は学生時代、あまり漢文が得意ではなかった。
どちらかと言えば古文が好きで、高校時代は古文で漢文のマイナスを補っていたくらい
古文は好きだった。
簡単に言えば、「漢字だらけの文章が苦手」だったのだ。
そんな僕でも、いくつか記憶に残っている漢文のフレーズがある。
今日のタイトルはその中の1つ。賢明な皆さんはもうお分かりですね。
そう、『老子』に出てくる一節。
「知足者富」
-満足することを知っている者は、心豊かに生きることができる、というもの。
■現代における「足る」を「知る」
先日、親と『シン・ゴジラ』の感想について連絡を取っていた時のこと。
特に僕自身特撮好きというわけでは無いけれど、『シン・ゴジラ』には心を動かされた。<感動>という言葉とは少し違う、<驚き>に近いものだった。
今でこそ『君の名は。』とか『聲の形』とか、邦画がすごく活発だけど、その先陣はこの『シン・ゴジラ』だったと思う。
特に、いろんな人の感想や分析、批判、絶賛がネット上に溢れていたのは、とても鮮明な記憶だろう。
<以下、一瞬ネタバレを含みますが、ネタバレしてもなお観たほうが面白いと思います>
realsound.jp
僕自身も、見終わった直後にはあれやこれやと思うことがあった。
シン・ゴジラ、、凄かったわ。凄まじかった。
— ikeshiya-box (@kobakkuma) 2016年9月13日
第二次世界大戦、戦後からの復興~先進国化、お役所仕事にたらい回し、エヴァも含めたオタク文化、そして3・11とそこに端を発する原発問題。きっとまだ見落としてることもあるんだろうけど、総じて「日本ってこんな国でしょ」って示された感じ。
いろんな事象に投影出来る二次創作的な余白を残しながら、これだけのスタッフエンドロールが流れるほど人のエネルギーが込められた作品って、見たことない気がする。音楽も、それ自体には意図的に意味を持たせて無かったような印象。画に集中させる、気持ちを変えさせる「きっかけ」のような音楽。
— ikeshiya-box (@kobakkuma) 2016年9月13日
同時に、これは是非うちの親(50代後半)にも観てほしいと思って、普段は音楽くらいしか推さないけど、猛烈にリコメンドしてみた。
そしたら、こないだこんな感想が返ってきました。
あのフリーズしたボロボロのゴジラはどう処理するんやろね。
あれは核汚染の廃棄物でしょ?
この頃よく思うんやけど、科学の進歩は人類の幸福なんやろか?
人間の欲心は“足るを知る”ことがなく、むしろ“知足”は向上心の欠如と否定的にとられがちだろう。特に科学的研究開発。医学分野では既に神の領域にすら手を突っ込んでしまったような気が…。
先人から恩恵を享受するのも後人だけど、同時に先人の愚かさを償わされるのも後人、それが歴史なのかしらね。
人類の未来は明るいのか?…最近懐疑的なんだけど、、(以下略
僕はこれと言って反抗期を迎えないまま過ごしてきたし、むしろ割と親を尊敬している。
この感想も僕には見えない角度からのもので、面白かった。
特にこのフレーズ。
“知足”は向上心の欠如と否定的にとられがち
こないだ会社の同じフロアに、3年インドネシアに駐在してた課長さんが帰ってきて、
「日本は便利すぎて、たまにつまらないと思うときがある」と言ってたのを
思い出した。
ほんと、どこまでやったら満足するのかね。人間って。
もちろんその課長さんは、「インドネシアは足りないことだらけだったけどね(笑」とも
付け加えてたけど。w
■今の環境
前からこのblogを読んでくれている方は分かると思うんだけど、僕はラジオや音楽が
特に好きな人種でして。当然それ以外にも、TVも見るし、映画だってこんな感じで
見るし、とりあえず流行りには乗っておきたい。ミーハーメガネ野郎27歳です。
そんなエンタメに蝕まれた僕にとって、今の世の中はズバリ、
インプット出来るツールが多すぎる!!!!!!!!
という状態なのです。
映像を見られるツールといえば、TV・YouTube・ニコ動・Ustは当たり前、最近だと、Hulu・TVer・AbemaTV・Netflix・LINE LIVE…いやー。めちゃくちゃある。
音楽だって、先日Spotifyが日本に上陸したけど、サブスクの分野ではApple Music・Google Play Music・LINE MUSIC・AWA・Amazon Prime Music、それにかつてのMySpaceや、SoundCloudのようなコミュニティもあり、日本にはレンタルという形態も生き残っている…これまた多い。
ラジオも、radikoプレミアムのおかげで、今や全国のご当地番組が聴ける。気になって仕方がない。明日からは「シェアラジオ」「タイムフリー」も始まるもんだから、もういよいよ追いつけない様相を呈してきてます。
(これについてはまた別の機会で考えたいですね)
それこそ、SNSで「RT」やら「いいね!」「♡」されたやつだって、十分インプットソースになるわけで。
あくまで僕目線ですが、今、この2016年、掴みたい情報が滝のように一気に、同時多発的に流れていて、めちゃくちゃ息苦しくなっている。
いつ、どこで、誰の、どんな情報が、どのツールで流れてくるのか、自分で掬いに
行く必要があるし、掬いに行けるようにもなった。
昔はそれが限られた山から流れてきていたわけですよ。
映像ならTV、ラジオなら地元だけ、音楽ならCDショップやレンタル屋さんくらい。
2010年付近から言われ始めた「キュレーション」。
情報の流れてくる場所を教えてくれる画期的なサービスだと思ったけど、
今となっては、もしかしたら、キュレーション系のサービスをまたキュレーションして
いくという、謎のループが生まれてるかもしれないってくらい広まっている。w
「じゃあほんとに君が欲しい情報って何なのよ?」って、情報の方から逆に
突き付けられている感覚に陥っちゃいます。(´・ω・`)
■本当に掴みたいもの
そんな中、さっきの親の感想を見て、↓の言葉が自分から出てきたんですね。
ようやく分かった。何で夜に言葉がたくさん出てくるのかが。シンプルに言えば、気が散ってるだけ。別に昼間だって言葉を出すことに集中出来るタイミングはある。今の自分はインプットホリックになりつつあって良くない。適度にインプットを我慢して、アウトプットに集中する時間を意図的に作らないと。
— ikeshiya-box (@kobakkuma) October 4, 2016
これはblogなり何なりを書こうとした時に、(いや、その前にあれを聴かなきゃ)っていうものが多すぎて、全然書き出せなかったことに対する自己回答で出てきたもの。
結局何かを書いたり表現したりするのは、必ずそこにインプットの存在があるわけで、
インプットが渋滞してたらアウトプットも滞るわな、という話。
そのインプットの処理を上げて、「まだまだ知りたい」と思うのか、あるいは「ここまで知れたんだから一旦アウトプットしておくか」の違いは大きいように思います。
本当に掴みたい情報を見極めて、それをアウトプットとして消化して、また掴みに行く。何回掴みに行くかの基準は、「満足」してるかしてないか。
このループが、僕にとっての「心豊かに生きること」になりそうだな、と。
アウトプットの仕方は、blogに残すだけじゃなくて、Twitterに載せるのもそうだし、
Instagramに載せるのもそう。TPOによってベストなアウトプットの方法はある。
ま、それが生業になれば一番良いんだけどな~。
今日は連休最終日ということもあり、少し長めに書いてしまいました。
長文、駄文申し訳ありません。
今日もご愛読、感謝です。
written by kobakkuma.
024 タイトル改編
突然ですが、ブログのタイトル変えようと思います。
理由は簡単。
この時期になると、テレビでもラジオでも番組改編が起こりますよね。
その流れに乗っかったんです。
嘘です。もっとシンプルです。
いきなり 大上段に構えすぎた のです。
だって、『言魂の宿る場所』なんて、ねぇ?笑
もっと何かを成し遂げてきた人なら付けても良いタイトルかもしれないけど、
ただの人が付けても名前負けするだけだって。w
もちろん言い続けなければ到達できないってことも分かるけど、
時にそれはすごく安易だったり、幼稚なものに見える。
身の丈にあったというか、自分の中でしっくり来るタイトルに変えたいと
思ったんですね。
そこでタイトルを変えようと決意。
どんなタイトルにするか、僕の思考回路はこうでした。
・(英語は使いたくないなー)
・(誰かの名言もろパクリはしたくないなー)
・(こんなこと書いてあるのかな、が分かればより良いなー)
・(「自分っぽい」言葉を考えてみるか?)
→いわゆる、リラックマの「だららん」みたいなやつ。
<自分を自分で表す言葉>
ひねくれもの/ミーハー/気まぐれ/気分次第でクオリティが変わる
固執しがち/頑固/認められたい/誰かと共感したい/日本語が好き
自分に甘い/あまのじゃく/三日坊主/#netsu好き/ラジオ/音楽/声
ラーメン/ボウリング/高校野球/すぐ憧れる
他にもなんかいろいろありそうだけど、とりあえずこんな感じ。
そこで思いついたのが、「隣の芝生は青い」っていうことわざ。
このことわざが僕は結構好きなんですよ。
隣の家の芝生は自分の家の芝生より青く見えるという意味。他人のものはなんでもよく見えるという人間の競争心理を言い表したことわざで、英語のThe grass is always greener on the other side of the fence.(フェンスの向こう側の芝はいつもうちのより青々している)を訳したもの。
隣の芝生は青いとは何か - 日本語を味わう辞典(笑える超解釈で言葉の意味、語源、定義、由来を探る)
意味を調べれば、すぐにこれが出てくる。
割と多くの人に知れたことわざかなーと思います。
なんでこれが好きかというと、僕はこのことわざに続きを作っているからなんです。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「隣の芝生は青い」
↓
それはどんな時でもそう
↓
だから、追い求めても手に入らない
↓
それなら、どこまでその「青い芝生」に近付けるか考えてみよう
↓
ゆくゆくは「互いの芝生が青い」状況になったらいいんじゃない?
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
だって、隣の人にとってみれば、僕の芝も青いかもしれないでしょ。
競争心理を表したことわざかもしれないけど、
僕にとっては生きるうえで、あえて心がけていること。
既にあることをその通りに受け取らず、すぐに憧れる傾向にある僕の性格を
割と端的に表しているような気がしています。
ということで、新タイトルをこれに決めました。
説明文にも書いたけど、いずれは僕の芝生でも言魂を宿せるような環境を
作っていければと思います。
そのためにも、良い肥料を撒いて、水をやって、ちゃんと手入れしたいと思います。
こんなひねくれものですが、これからもよろしくお願いします。
ご愛読、感謝です。
written by kobakkuma.