隣の芝は どうしていつも 青いのか

誰かにとっての「隣の芝」になれるまで、言葉を考え、言葉に悩む。

038 暗闇

音楽は立体である。しかし、視覚はそれを見えないようにする霧だ。

 

入場する際に配られたレジュメには、こう書かれていた。

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サカナクションが、あいちトリエンナーレ2019で披露したライブは、
これまで数々の革新的なライブを構築してきた彼らの中でも極めて異色なもの
だったと思うし、「音楽の体験の仕方」というものを考えさせられるような
空間だった。

 

なぜなら、そのライブが、あらゆる光を遮断して実現した、
「暗闇の中でのライブ体験」だったからだ。


レジュメの文言。
文字でこう書かれると、分かった気になるのは簡単だと思う。
立体かどうかは分からずとも、目を瞑り、イヤホンだけで音楽を聴く行為をすれば、
その意味するものに近づくことは出来る。

 

ただ、この「暗闇ライブ」は、そういうことでは無かった。
自分の意志で目を瞑って視覚を遮るのでは無く、光を完全に遮断することで、
視覚を無効化する環境を生み出し、その中で圧倒的な音圧の音楽を受け止めるという
体験だった。

 

サカナクションお得意の6.1chサラウンドシステムでは無かったものの、
220度のサラウンドと、ドイツのスピーカーシステムを導入することでの、
音への没入感、そして暗闇。

 

 

目を開けているはずなのに、見えない。
自分の手をすぐ目の前に差し出しているはずなのに、輪郭すら見ることが出来ない。
瞬間的に放たれた光を網膜が捉えて残像にするけれど、瞬く間に、その残像が
闇に飲み込まれていく。


そんな暗闇で鳴る音に対して、始めのうちは音の鳴る方向だけを必死に追いかけていた
自分の感覚も徐々に慣れてきて、その奥行き、距離感、気配なんかを感じ取れるように
なっていく。


普段から美術館に行ったり、アートに触れているようなタイプではない類の人間でも、
自身の感覚が自然と順応していくのが分かる。



ライブは、プラクティスセッションと本編四幕で構成されていた。

基本的に最初から最後まで圧倒されっ放しだったのだが、特に圧巻だったのは、
第四幕『闇よ、いくよ』。

この四幕だけは演出なしの完全暗転、すなわち「音楽と暗闇だけ」が存在する時間だった。



これまで、サカナクションに限らず、様々なライブやMVを見たりしているから、
こうして目の前が何も見えないとなると、次は自身が過去に見聴きした映像を脳が無理やり
引っ張り出してきて、視覚の代わりに用意しようとしてくる。

この曲調ならあのアーティストのツアー、この感じならあのグループのMV、、
曲調に合わせてぼんやりとした映像を、ご丁寧に添えてくる。

しかし、そこで鳴っている音楽がその映像にマッチするはずが無いので、
段々とその映像も揺らぎはじめてくる。


すると、ついには、勝手に自分の頭の中でMVを作りだすような遊びを始めるのだ。


この時、僕は冒頭の言葉、"音楽は立体である" を、初めて実体験として
認識することが出来たような気がした。

もちろん、個人の感じ方の違いがあるから、あの場にいた観客1人1人の受け止め方は
あると思うけど、少なくとも、僕はこんな受け止め方をした。


前のツアー『魚図鑑ゼミナール』で、サカナクションのボーカル・山口一郎は、
こんな発言をしていた。

「こんな技術を使ってこんなことをしてみようでは無く、こんなことをしてみたいからこの技術を使ってみよう」


まさに、この あいちトリエンナーレ2019 「暗闇」はその精神がガッツリと
反映されていた公演だったと思う。

他にも、一幕の傘を開くシーン、二幕のお茶の香り、三幕の鈴・和太鼓・拍子木で
スタートする厳かな感じ、、感嘆したことを挙げだしたらキリがなくなるくらい。


並大抵の発想では出来ないだろうし、実行に移せるだけのテクニックが無いと
実現は不可能。


改めて、こんな貴重な体験をさせてくれたチームサカナクションには感謝しか無いし、
もうほんと、ますます尊敬していくよね・・。


同時に、どんどん先の時代に進んで行ってしまうので、リスナーとしても
振り落とされないように付いていかないと!




最後に、終わった直後、金八先生みたいなことを言っていた自分のTweet
載せて終了にしたいと思います。

もしここまで計算して"闇"というテーマにしていたのだとしたら、
マジで変態集団だと思う。(褒め言葉)

 

 

今日もご愛読、感謝です。
written by kobakkuma.
TW:@kobakkuma