隣の芝は どうしていつも 青いのか

誰かにとっての「隣の芝」になれるまで、言葉を考え、言葉に悩む。

031 オードリー若林にはなれない

関西での生活ももうすぐ1年が経とうとしている。

 

仕事の内容はまるっきり変わったが、興味が深まったかと聞かれれば

この組織に入った時から特に変わったことは無い。

 

 

私生活だって、何の変化もない。

変わったことと言えば、キーボードを習い始めたことと、話していて楽しい

美容師さんに出会ったことと、見に行くライブハウスが違うことくらい。

 

相変わらずラジオを聴き、音楽を聴き、休日の昼ごはんはモスを食べている。

 

 

でも、決定的に変わったことがある。

それは、自分が思考していることを言葉として残す頻度が圧倒的に

落ちてきたことと、そもそも考えること自体減ってきたことだ。

 

 

 

 昨日、何も無かったから、録画していたお笑い番組やアニメとかを

見ていたときのこと。

 

 

『あれ。何でこれ録画してたんだっけ。』

 

 

別にめっちゃ好きな女優が出ているわけでもなく、めっちゃ好きな

お笑い芸人が出ているわけでもなく、めっちゃ好きな声優が出ている

わけでもない。

 

今この録画を回収したところで、僕はどう受け止めたらいいのだろう。

 

 

そう思った瞬間、かなりの録画たちが未視聴のまま消されていった。

 

 

 

これが、僕が28歳最後にした行動だった。

 

 

ホットカーペットとブランケットにくるまりながら過ごしていた

部屋の中で、一人、すごくむなしくなった。

 

 

 

 

水道橋博士が書いた『藝人春秋』という作品がある。

その最後に、オードリーの若林が解説としてコメントを書いていた。

 

僕はその文章にとても感動し、矢継ぎ早に『社会人大学人見知り学部

卒業見込』を読み、若林正恭の書く言葉が好きになった。

 

 

金曜、特に何かきっかけがあったわけでは無いが、突然本を読みたくなった。

 

そこで『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬(若林正恭著・KADOKAWA)』を、

うめきの(阪急梅田駅の紀伊国屋書店)で買い、3時間ぶっ通しで読み漁った。

 
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アラフォーになった若林が、一人異国のキューバで見たこと、触れたこと、

思考したことが彼の目線で書かれている。

 

その中で、平等に見えていた社会主義の国にも、"コネ"の有無によって待遇が

変わるということを目の当たりにした彼が書いた、こんな一節がある。

日本の自由競争は機会の平等であり、結果の不平等だろう。キューバ社会主義は結果が平等になることを目指していて、機会は不平等といえるのかもしれない。(中略) 日本を発つ前に新自由主義に競争させられていると思っていたが、元々人間は競争したい生き物なのかもしれない。

 

僕が今の人生を送れているのは、過去の自分が選んできた結果の積み重ねな

わけだけど、今の人生しか送れていないのもまた、過去の自分が選んでしまった

結果が出ているわけである。

 

なんとも納得せざるを得ない仕組みなのだ。

 

 

僕の知り合いには、メディアで番組に出ている人もいれば、企画を作る仕事を

している人もいる。誰かに、何かを、伝えていく仕事をしている。

 

でも、それはたまたま彼らの相手がマスなだけであって、しがないメーカーの

サラリーマンだって、日々組織の誰かに、何かを伝えるようなことはしている。

 

 

そのとき、伝え方の引き出しを人より多く持っていられるように、

僕は様々なインプットを続けていたのだ。

だから、あれだけたくさん録りためていたんだ。

 

 

にも関わらず、28歳の僕は伝え方の引き出しを増やすことを、自ら拒んだ。

 

 

むなしくなったのは、そう考えていたはずの自分に対して裏切り行為を働いて

しまったからに他ならない。ろくにアウトプットをしてないだけなのに。

 

 

 

 

29歳、最初に思考したことは、このことだった。

だから、オードリー若林には大感謝である。

 

 

 

自分にとって、世界の見え方は特に代わり映えしないのに、

この勝手に積み上がる年齢という数字は、無言で僕の気持ちの青い部分を

白く染めようとしてくる。

 

 

それに抗ったところで、年齢は待っちゃくれない。

だから、上手く付き合っていくために、考えたことをこうして言葉にして

客体化させる必要がある。

 

 

この先、ベストとは言わずとも、どれだけベターな選択を重ねられるかによって、

自分が死ぬときに、人生を使い切れたかどうかが決まる。

 

 

1年後にこれを見て、より良い選択が出来ているかどうか、1年後の自分に向けて

競争心理を植え付けて、今日は寝たいと思います。

 

オードリーがM-1を席巻した2008年、若林は30歳だった。

自分はどんな30歳を迎えるのだろう。

 

 

今日もご愛読、感謝です。
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030 打ち上げ花火、上から見るのはaikoだけ

 

ということで、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』観てきた。

(※以下、『打ち上げ花火~』とします。)

(※また、原作を"実写版"、これを"劇場版アニメ"と呼ぶことにします。)

 

https://www.instagram.com/p/BYiMSagnToa/

『ライブに行かない週末は映画を見よう』というキャンペーンを個人的に企画しているわけです。ということで、見てくる。元になってるドラマ版も見たいんだよなぁ…フジテレビで夜中とかに再放送しないかなー。#movie

 

■見終えてすぐの感想

 (良い映画ではあったけど、想像を超えるような感じは無かったような…)

 

これが観終えてすぐの感想。

 

まぁ僕自身の想像がどのレベルを想像していたのかという議論もあるんだけど、

それは一旦置いといたとして。

 

じゃあなんでそう思ったのか、という疑問が湧いてきた。

 

 

原作:岩井俊二、脚本:大根仁、総監督:新房昭之、アニメーション:シャフト、

プロデューサー:川村元気、声優は広瀬すず菅田将暉宮野真守

 

もう、一流どころか、超一流のヒットメーカー・エンターテイナー達が

名を連ねている。

 

そもそも、93年にTVで放送、95年に映画公開された実写版は、今もなお、

大きな影響を与えている。

 

 

なのに、劇場版アニメでは、気持ち的にグッと来るものが多くは無かった。

 

これはまずい。まずいぞ。

自分の中の感受性が錆び付いてるんじゃないか?そんな疑いがあったので、

もう少し、この作品を追いかけることにしてみた。

 

 

■実写版の感想

(以下、若干のネタバレ含むかも…ご注意を!!)


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ということで、実写版のDVDを買ってきた。

幸いタワレコポイントがたんまりあったので、実質4円というね。w

 

 

・・・これはすごい!

 

小学生同士という設定だからこそのぶっきらぼうな発言、

あからさまに焦っている表情、

良く分からないけど自分で確かめないと気が済まない衝動、

 

目線が小6男子ということもあり、男なら一度は思い出すような感覚が

数多く詰まっていた。少なくとも、僕の場合はそうだった。

 

少し好きだった(かもしれない)女の子にブスって言ったりとかね。w

 

 

実写版についても思うことはいっぱいあるんだけど、ひとまず見終わった後、

唸ったよね。語り切らない良さがここにある、これが”マスターピース”かと。

 

エンドロール見てさらに驚いたのは、助監督に行定勲さんがいること。

どこまでもレジェンド的な作品だと思う。

 

 

ただ、実写版は約1時間の中で完結される話だったし、何かまだ見落としが

あるんじゃないかと思って、今年岩井俊二さんが自ら書き下ろした原作も、

買って読んでみた。

 

www.kadokawa.co.jp

 

正直、実写版を見てから文庫版を読んだのは失敗だったと思う。

書いてあることが、実写版の通りにイメージ出来てしまったから。

 

もし逆の順序で辿っていたら、もっと実写版の凄さに感動しているはず。

 

それくらい、 実写版キャストの演技が自然、かつ印象的だったということを

文庫版の文字情報が教えてくれた。(14才の奥菜恵すごいね。w)

 

 

この文庫版は劇場版アニメとは違って、 実写版のストーリーを描いてたんだけど、

やっぱり、この「思春期の入り口」感が見事に込められている。

 

このストーリーの根本はここなんじゃないかということで、

僕は1つの着地点を得た。

 

 

■あの感想の出どころ

さて、翻って劇場版アニメの方である。

 

観終わった直後のあの感想は、何だったのだろう。

実写版や文庫版を一切知らなかったくせに抱いた、”想像を超えてこない”という

感想は、どこから来たのだろう。

 

 

そこで引き合いに出したいアニメ作品が2つある。

 

●『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

1つは、『あの花』である。 

www.anohana.jp

 

文庫版のあとがきには、岩井俊二さん自らが、この作品の始まりから語っている

「短い小説のための長いあとがき」がある。

 

 

その一節に、依頼されたドラマのテーマ「if もしも」に沿わせるため、

「群像劇にする」というアイデアが登場する。

 

これを読んだ瞬間、僕の頭には『あの花』がよぎった。

 

超平和バスターズが小学生であったこと、仁太は、本当はそんなこと思ってない、

むしろ逆の気持ちなのに、めんまのことを「ブス」と言ってしまったこと。

 

 

当然、時系列的には『打ち上げ花火~』が先なので、もしかしたら『あの花』は

この作品のオマージュなんじゃないかなーと想像した。

 

この想像が当たっているか外れているかは大したことでは無いんだけど、

『あの花』の音楽を担当していたのが、REMEDIOSというアーティストだったのには

驚いた。やっぱり、何かしら繋がっていると思いたくなる。

 

実写版の『打ち上げ花火~』においては、"もうこれ以上無い!"っていうくらい

絶妙なタイミングで入るBGMがあって。

 

それが、REMEDIOSの「Forever Friends」だった。


forever friends | REMEDIOS

 

Hold me like a friend/Kiss me like a friend/Say we'll never end

 

歌い出しはこんな感じ。

 

結局、あの子の本当の気持ちなんて分からない。あいつの意図も分からない。

10代も後半に入れば分かるかもしれない、そんな気持ちさえ、

「思春期の入り口」にいる自分にはくすぐったくて良く分からない。

 

だからこそ、お互いに今のままがずっと続いて欲しいと願う。

 

 

そんな気持ちが音楽になったような気がして、心を持ってかれた。

 

どことなく、『あの花』にも通じるものがあるような気がするんだよなー。笑

 

 

●『君の名は。

もう1つは、記憶にも新しい新海誠監督の『君の名は。』。

去年、ちょうど同じくらいの時期に公開されてたよね。

 

ド級のヒットになったこの作品、もちろん新海監督はすごいわけで、

そして主題歌含めて音楽を担当したRADWIMPS野田洋次郎もすごいんだけど、

 

新海監督にRADWIMPSを引き合わせた、川村元気プロデューサーもまた、

すごいわけです。

 

劇場版アニメ『打ち上げ花火~』も川村P。

 

映画において、プロデューサーがどこまでストーリーや演出に関わっていくのかは

知らないけど、『君の名は。』の手法とこの作品、「最後まで見せ切る」という点で

結構似てるんじゃないかなーと思った。

 

 

過去の新海作品をそれなりに見てきている僕としては、『君の名は。』を観たとき、

エンディングで(あっ、出会えちゃうんだ・・)と思った記憶がある。

 

それまでの新海作品であれば、たぶん、”出会えずじまい”になるはず。

仮に出会えたとしても、物理的/心理的に距離があったりするものになるはず。

見えない会えないからこそ、想いを抱き続けて生きていく。

 

そこを、『君の名は。』は、ばっちり運命的に出会わせて、ハッピーエンドに

終わらせることで、最後まで答えを見せ切るようにアプローチしてきた。

 

僕個人としては、この「最後まで見せ切る」手法が、現代の若い世代に対する

アプローチの1つとして成功したんじゃないかと思っていて。 

(こんなことを言うと、もうおじさんですね…とほほ。)

 

それを考えると、今回の『打ち上げ花火~』は、その流れが続いていると思う。

 

 

タイムリープというか、時間を繰り返す系の作品、僕は好きな部類で。

 

たしか一番最初にこういう作品に出会ったのは、日テレで放送されてたドラマ

『君といた未来のために~I'll be back~』だった。

 

どこが好きなのかは至って単純で、”あんなことをしなければ”、

”ああしておけば”という、現実世界には絶対にはあり得ないやり直しが出来て、

まさにフィクションっていう感じがするから。

 

もちろん、たくさん生まれる「もし・・」の先は分からない。

分からないからこそ、想像の余地・遊びが残っている。

 

 

ただ、この劇場版アニメでは、最後の花火が打ち上がったとき、ばらばらに砕けた

欠片に、それぞれの登場人物が描く「もし・・」の先が描かれていた。

 

「もし・・」の先をダイレクトに見せる=最後まで見せ切ることになるわけで、

その点において、『君の名は。』に通ずるエンディングだなーと思ったわけです。

 

・・・・・・・・・

当初の自分への疑問に対しては、きっとこの2つのアニメ作品を

既に経験してしまっていたから思ったのかなと、いろいろ追いかけてみたことで

一旦は、答えにたどり着けたような気がする。

 

 

■追ってみて分かったこと

いろいろと関連してそうな作品を追ってみて分かったことがあって。

 

それは、「良いところに気付けるか、面白いと思えるかどうかは、

自分の目線次第」ということ。

 

 

そもそもこういう部類のストーリーは、視聴者それぞれの想像や憶測という

補完をみんなが勝手にすることで、作品がより魅力的になるものだと、

僕は信じていた。それは今でも変わらない。

 

一方で、この劇場版アニメでは、それぞれの登場人物が「もしも」の先を

どう想像していたのか、本当はどう思っていたのか分かるのは、

なんとなく答え合わせをしてるようで楽しかったし、

 

なずなが松田聖子の『瑠璃色の地球』を歌うシーンには、文庫版に書いてた

銀河鉄道の夜』へのオマージュが表れていた気がするし、

 

主題歌の「打上花火」も、かなりの名曲だと思った。

(Forever Friendsは、さすがに原曲が良かったかな~ > <;)

 

 

たとえいろんなサイトで批判の嵐になっていたとしても、その作品を巡る

コンテクストは至る所に隠れている。

 

まぁ正直劇場へ足を運ぶべきかどうかと聞かれると難しいけど、クチコミほど

批判されるような作品でも無いと思う。

 

 

「良いところに気付けるか、面白いと思えるかどうかは、自分の目線次第」

 

というわけで、これからもしっかり目線を養っていこうと思いましたとさ。

 

 

 

いや~、長文すみませんでした。

少し熱盛多めになってしまいました。

 

…失礼いたしました。熱盛と出てしまいました。

 

「熱量多め」の間違いです。失礼いたしました。

 

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029 zeroとともに

博士の愛した数式』という本がある。

 

小川洋子さんの著書で、映画化もされているし、知っている人も多いと思う。

www.shinchosha.co.jp

 

その一節に、「ゼロの素晴らしさ」を博士が語るシーンがある。

 

 「0を発見した人間は、偉大だと思わないかね (中略) 無を数字で表現したんだ。非存在を存在させた。(中略)矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。」

 

これを読んだとき、もし仮に何もかも失ってゼロになっても、

存在して良いって認められたような気がした。

 

この本の中でも、個人的に印象的な部分。

 

 

■『zero』からの決意

昨日、Aimerの初となる武道館公演を、ライブビューイングで見てきた。

 

https://www.instagram.com/p/BYX1HeQHqja/

来た!Aimer初武道館公演、ライブビューイング!個人的に、LVが初なので雰囲気が良く分からんけど、とにかく楽しみ。物販で、六等星の夜オルゴール買えないのが悲しいけど…しかと目に焼きつけます!#Aimer#ライブビューイング

 

タイトルは"blanc et noir"、フランス語で白と黒。

 

Aimerのファンクラブの名前にもなっているし、今年リリースされた

2枚のベストアルバムも、『blanc』と『noir』

 

Aimer自身にとっても、ファンにとっても、思い入れのあるフレーズだと思う。

 

ライブは『blanc』編『noir』編のように、それぞれのアルバムから

選曲されて進んでいった。

(Aimerのネイルも白と黒になってましたね!)

 

 

終盤に入り、このステージに立って、想いを語るAimer。

 

うろ覚えだけど、こんなようなことを話してたと思う。

 

「初の武道館だけど、特別扱いするのではなく、いつも通り

歌を届けようと思って来ました」

 

「でも、初めての武道館は1回だけ、ここに連れてきてくれた、

みなさんのおかげ」

 

 「声が出なくても、やっぱり歌が好きで、歌う度に好きになって、

これからも歌を届けたい」

 

 

特に最後のフレーズは、声帯を傷めているAimerの言葉だからこそ、

その気持ちの強さを感じた。

 

そんな想いの詰まったMCから歌われたのが、『noir』の最後に

収録されている「zero」という曲。

 

 

これからも僕らに声を、音を、詩を、僕らのリアルとして刻んでくれる、

そんな誓いのようなパフォーマンスだったように思う。

 

「ここからが新しい始まり」と言っていたのも、より引き立てていた気がする。

 

 

■Aimerとの出会い

Aimerのメジャーデビューは2011年、忘れもしない、東日本大震災が起きた年。

 

その年、僕は入社1年目。

会社のボランティアで石巻まで復興支援に行ったことがあった。

 

仕事を終え、夜行バスで向かいながら、この先どうなってしまうのか、

少しばかり不安を抱きながら、僕はラジオをぼんやり聴いていた。

 

 

その時、Date fmから流れてきたのが、Aimerのメジャーデビュー曲

「六等星の夜」だった。

 

時間に余裕がある方は、6分弱の間、耳を傾けてみてください。

 


Aimer 『六等星の夜』

 

 

東京とは違う真っ暗な夜を見る僕に、これ以上無く寄り添ってくれた曲。

 

聴く度にあの日の夜を思い出す。

大げさだけど、僕の人生にとても深く関わっている。

 

 

昨日のアンコールのラスト、ピアノだけをバックに、時折涙ぐんだ声で

歌いきった。

 

LEDで星を模した演出もあって、ライブビューイングではあったけど、

とても綺麗だった。

 

それはもう鳥肌もので、この曲を聴いてる間、感動しか無かった。

 

(スマホライト振り出した人も居て、それはそれで綺麗だったんだけど、

現場ではどうやら光りもの禁止だった様子…これはまた別のお話ですかね)

 

 

初の武道館、13,000人。+LVの観客。

11年のメジャーデビューから7年目、一つAimerにとってのマイルストーン

なった夜だったと思う。

 

個人的には、昨日のような演出、聴かせ方であれば、

Bunkamuraオーチャードホールとかも似合うと思う。

 

いつか見てみたいな。

 

 

・・・・・

 

ライブが終わって、思うことがどばーーっと溢れてきて、勢いで書いてきた。

 

この勢いも含めて残したかったから、まぁ良しとしようか。

 

 

今日はそんな、Aimer(エメ)というアーティストのお話でした。

 

 

長文駄文にお付き合い頂き、ありがとうございます。

 

今日もご愛読、感謝。
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